企業の透明性を高める「人的資本開示義務化」

企業の成功を左右する要素といえば、製品の品質や価格競争力、ブランドイメージなどを思い浮かべるでしょう。しかし、今日ではそれらを支える「人的資本」の価値が重視されています。

人的資本とは、社員の知識やスキル、経験といった企業の中に眠る無形の資源です。人的資本と人的資源は、両者ともに人々の知識、スキル、経験などを指す言葉ですが、それぞれ微妙に異なります。「人的資源」とは人的資本は個々の人が所有し、自身の価値を高めるために使う一方で、「人的資源」は組織全体の視点から見た、組織の成果に貢献する全ての人々を指すという違いがあります。

2022年1月に岸田首相は施政方針演説で「人的投資が、企業の持続的な価値創造の基盤であるという点について、株主と共通の理解を作っていくため今年中に非財務情報の開示ルールを策定します」と表明し、2023年3月期決算以降いわゆる「人的資本の情報開示の義務化」が始まり注目されています。

この記事では、人的資本の開示が企業にどのような影響をもたらし、それが新たな挑戦とチャンスにどうつながるのかを詳しく解説します。

人的資本とその重要性とは?

人的資本とは、企業の中に存在する、従業員の知識、スキル、経験、そして能力を指します。これらは従業員個々のスキルや知識という形で存在しますが、それらが集まって全体として組織の競争力を形成します。

人的資本は、物的資産(ビルや機械など)とは異なり、触ることはできません。しかし、それが組織内でどのように活用されるかによって、企業の成果に大きな影響を与えます。たとえば、経験豊富な営業担当者は顧客との良好な関係を構築し、新規顧客を獲得する能力(人的資本)があるとします。その能力が企業の売上や利益に直結するわけです。

また、製品開発部門のエンジニアが新しい技術やアイデア(人的資本)を持っていれば、その企業は革新的な製品を開発し、市場で成功する可能性が高まります。これらの例からもわかるように、人的資本は企業の成長と競争力に直接寄与する重要な要素です。

人的資本の重要性は、知識経済が主流となる現代社会においてますます高まっています。従業員の知識やスキル、創造性を最大限に活用し、組織全体としての価値を高めることが、今後の企業が生き残るための重要な戦略となっています。そのためには、経営者や採用担当者が人的資本の管理と開発に注力し、その価値を高める努力が求められます。

人的資本が求められる背景とは?

昨今のビジネス環境は、デジタル化やグローバル化の進展とともに急速に変化し、企業の競争環境も激しくなっています。その中で、企業の競争力は製品やサービスの品質だけでなく、従業員一人ひとりが持つ知識やスキル、創造力など、つまり「人的資本」に大きく依存するようになってきています。

例えば、新しい技術を生み出すためには、専門的な知識とスキルを持つエンジニアが不可欠です。また、顧客の満足度を高めるためには、優れたコミュニケーション能力を持つ営業員やカスタマーサービススタッフが必要です。これらの専門的な知識や能力は、人的資本の一部であり、企業の競争力を高める上で欠かせない要素です。

また、最近では、ESG(環境・社会・ガバナンス)投資の流れが強まる中で、企業の社会的責任も重視されるようになりました。その一環として、企業が従業員の教育や能力開発にどれだけ投資しているのか、その結果としてどれだけの人的資本を形成しているのかという情報が求められるようになっています。

このように、人的資本の重要性が高まる背景には、企業の競争環境の変化と社会的な要求の高まりがあります。これらに対応するためには、企業は人的資本の管理と開発に重点を置くことが求められています。

人的資本開示の義務化とは?

「人的資本開示の義務化」とは、企業が自身の人的資本に関する情報を公開することが法的に義務付けられることを指します。これは企業の持続可能な成長を支えるための重要な取り組みであり、投資家やステークホルダーが企業の長期的な価値をより正確に評価するための手段となります。

2023年3月期決算以降上場企業など有価証券報告書を発行する約4000社は、女性管理職比率や男性育児休業取得率、男女の賃金格差といった重要業績評価目標(KPI)について、有価証券報告書の「従業員の状況」に記載しなけばいけない義務化が始まりました。

ここで言う「人的資本」とは、企業の従業員が持つ知識、技能、経験、教育などの無形資産のことで、これらは企業の競争力や成長性に大きく寄与します。しかし、これらの情報は通常、財務諸表には明示的には反映されません。そのため、これらの重要な情報を開示し、公正な企業評価を可能にすることが求められています。

人的資本開示の義務化は、企業が人的資本の投資や管理にどれだけ取り組んでいるのか、また、その結果としてどれだけの価値を生み出しているのかを明らかにします。具体的には、教育や研修への投資、社員の満足度、離職率、従業員の能力開発の成果などの情報が開示されることが期待されています。

これにより、投資家やステークホルダーは、企業の財務情報だけでなく、人的資本に関する情報も考慮して企業の真の価値を評価することが可能になります。また、企業自身も、自社の人的資本の強みや課題をより明確に把握し、その改善や開発に向けた取り組みを進めることができます。

人的資本開示のメリットデメリットとは?

内閣府が22年夏に示した指針から1年足らずの義務化で、準備期間が短かったため、人的資本開示を指標や数値で定量的に開示すると答えた企業は2割にとどまっていると言われています。では、人的資本開示にはどのようなメリットとデメリットがあるのかご説明します。

【メリット】

⒈企業の方向性の明確化

人的資本の開示により、企業の従業員に対する投資やその成果が明確になります。これにより、自社が人的資本に対してどれほど投資できているか、人材の何にこだわり、企業として何を目指すのかという企業の経営状態についてより明確化し、企業の真の価値をより適切に評価することが可能になります。

⒉ステークホルダーとの信頼関係強化

企業が自らの人的資本について公開することは、投資家や顧客、従業員などのステークホルダー(株主、経営者、従業員、顧客など企業のあらゆる利害関係者)との信頼関係を強化します。これにより、企業は社会的な信認を得やすくなるでしょう。

⒊自社の強み・課題の把握

人的資本の開示は、企業自身が自らの人的資本の強みと課題を理解し、その改善や開発に向けた戦略を立てるための貴重な情報を提供します。

⒋採用活動での差別化

人的資本情報を開示することで、求職者がその企業の優位性について他社と比較する機会が増えていくことが予想されています。人的資本に基づいた企業としての強みを明確にできれば、求職者に対して自社の魅力をアピールするツールとして使えるのです。

【デメリット】

⒈開示の困難さ

人的資本は数値化や測定が難しい場合があり、その定義や評価基準も必ずしも一定ではありません。大手企業では、すでに統合報告書、サステナビリティレポートなどで、今回求められるような人的資本情報は投資家向けに可視化、定量化していることが多いですが、過去の蓄積が少ない中小企業では、あわててデータを整理しなければなりません。そのため、人的資本の開示は企業にとって時間や労力を必要とすることがあります。

⒉情報の不適切な利用

開示された情報が競争相手に利用される可能性もあります。例えば、特定の能力やスキルを持つ従業員が集まっていることが明らかになれば、それがヘッドハンティングの対象になることも考えられます。

これらを踏まえて、人的資本の開示に向けた取り組みは、企業の状況や戦略に応じて適切に進める必要があるのです。

どのような情報を開示すべきなのか?

「人的資本開示」においては、企業が自社の人的資本についてどのような情報を公開するべきか、またそれをどのような形式で公開すべきかは大変重要です。以下にその要点をまとめました。

【対象】

およそ4,000社の上場企業(金融商品取引法第24条「有価証券を発行している企業」)

【開示する対応方法】

2023年3月期決算以降の有価証券(株式や債券、手形や小切手など、それ自体に財務的価値がある証券や証書のこと)報告書への情報記載

【開示する項目】

人的資本開示の19項目

育成分野

・リーダー シップ
・育成
・スキル/ 経験

具体的には、人材育成やキャリア形成、スキルアップなどへの取り組みや、具体的な研修時間や費用、研修参加率や効果などの開示が考えられます。

エンゲージメント分野

・エンゲージメント
具体的には、企業への理解度や共感度、自発的意欲、ストレスや不満などが挙げられるでしょう。これらの情報はサーベイを活用すると、数値化できるでしょう。

流動性分野

・採用
・維持
・サクセッション(後継者育成)
具体的には「離職率」「離職の総数」「定着率」「新規雇用の総数や比率」「採用や離職コスト」「後継者有効率」「後継者準備率」「従業員一人当たりの質」などです。

ダイバーシティ分野

・ダイバーシティ
・非差別
・育児休暇

健康・安全分野

・精神的健康
・身体的健康
・安全
具体的には「医療、ヘルスケアサービスの利用促進や導入状況」「労働災害の種類、発生数や割合、死亡数」「健康や安全関連の研修を受けた従業員の数」などの開示です。

労働慣行分野

・労働慣行(いわゆる社内の「暗黙の了解」のこと)
・児童労働/強制労働
・賃金の公正性
・福利厚生
・組合との関係
具体的には「深刻な人権問題の件数」「差別事件の件数と対応措置」「苦情の件数」「団体交渉協定の対象となる従業員の割合」などがあげられます。

コンプライアンス/倫理分野

・コンプライアンス/倫理
従業員に対するコンプライアンスや人権課題への取り組みは、企業の社会的信用に関わる重要な項目です。

※なお「人材の多様性の確保を含む人材育成の方針」は開示必須項目です。サステナビリティ情報の記載欄に「戦略」や「指標及び目標」を記載しなければなりません。女性活躍推進法等に基づき、
「女性管理職比率」
「男性の育児休業取得率」
「男女間賃金格差」

を公表している会社及びその連結子会社に対して、これらの指標を有価証券報告書等においても記載を求めることとしています。

人的資本開示義務化に対する企業の準備と対策

人的資本開示の義務化に対する企業の対応は、その企業の透明性と企業価値の評価に対するコミットメントを示すものです。そのため、企業は多くの準備と対策が必要となります。以下に、企業が人的資本開示の義務化に向けて準備するための基本的なステップをご説明します。

1. 認識の共有と内部合意

まず一つ目は、人的資本開示の重要性について全社員が共通認識を持つことです。企業の経営陣や管理層は、人的資本の重要性とその開示によって企業価値がどのように評価されるか理解し、この重要性を全社員に伝える必要があります。

2. 開示情報の選定とデータ収集

次に、何を開示するかを決定し、必要なデータを収集します。これは企業の業界、規模、戦略などによって異なりますが、例えば、従業員の数、年齢、性別、教育レベル、技能、賃金、労働時間、研修や教育プログラムへの投資等が考えられます。

3. データ管理システムの構築

次に、収集したデータを管理し、確実に保存し、必要なときに取り出せるようにするデータ管理システムを構築します。このステップでは、データの正確性、一貫性、信頼性を確保することが重要です。

4. 開示レポートの作成

データが整ったら、それを元に人的資本開示のレポートを作成します。このレポートは、従業員や投資家、さらには一般の人々に対して企業の人的資本の状況を明確に伝える役割を果たします。

5. フィードバックの収集と改善

最後に、開示レポートを公開した後、内外のステークホルダーからのフィードバックを収集し、それを元に改善を行います。これにより、企業の人的資本管理や開示の方法が進化し、より良いものになります。

以上のように、人的資本開示の義務化に対する企業の準備と対策は、共通認識の形成から始まり、情報の選定、データ管理、レポート作成、そして改善というプロセスを経て行われます。これらのステップを踏むことで、企業は人的資本の価値を最大限に引き出し、企業価値の向上につなげることができます。

人的資本開示で企業の新たな航路を切り開こう

人的資本開示の義務化は、企業にとって新たな挑戦だけでなく、競争力を高め、持続可能な成長を実現するチャンスでもあります。人的資本の価値を高め、その成果を公に示すことで、企業は投資家やステークホルダーからの信頼を得るとともに、従業員のモチベーション向上と組織の活性化にも繋がります。

未来のビジネス環境に適応し、成功を掴むためには、この人的資本開示の波に乗ることが必要と言えるでしょう。

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